筆者は小学校から将棋とサッカーをそれぞれ6年と10年ほどやってきたが、似通っているところもあれば全く違うなという感想を持つ事もあった。
今回はその中から思考について、私の人生をベースにその差異をまとめていきたいと考える。
※なおここでは、フィジカルゲーム=脳で判断したことを必ずしもそのまま実行出来るわけでは無いゲームのことを指す(eスポーツやスポーツなど)
それぞれの決定的な違い
- 「努力×才能」の式
- 強豪(強者)に対する考え方
まず、「努力×才能」の式について、フィジカルゲームでは「才能=0」という式が安易に成り立つというものである。それは例えば身長差であったり、筋肉の増加量であったり様々である。
一方で頭脳ゲームでは基本的に「才能=0」という式は成り立ちにくい。というより、脳というものが第三者から見えない故に才能が測れないという側面が大きい。
また、フィジカルゲームでは才能値の振れ幅が激しく、頭脳ゲームでは努力値の振れ幅が激しい。
フィジカルゲームが才能に左右されるのは想像に難くないと思うが、頭脳ゲームでの努力値については一見分かりにくいように思える。
しかしながら、これは稼働可能時間の関係である。フィジカルゲームでは体を主体とするため、長くても6時間ほどで切り上げるべきであるが、脳は一日中稼働できる。そのため、努力量の差によって実力が大きく変動するのである。
そして、「強者に対する考え方」だが、上記の事からフィジカルゲームでは「諦める」という選択が常に伴うのである。一方の頭脳ゲームでは、良くも悪くも理論上は努力量ゴリ押しでどうにかなってしまう事が大半であるため「諦める」という選択を取りづらくなっている。
また、リスペクトも異なっているように思える。というのもフィジカルゲームでは届かないが故の妬みであったり、突き放した無根拠な尊敬などがあったように思える。しかしながらこれは個人単位であり、サッカーのチームでの強者というのは組織であり理論上は到達可能なため、ここは純粋なリスペクトがあったように思える。
一方の頭脳ゲームでは、強者は一律にリスペクト出来る環境であると考える。これは全てが理論上で可能なため「努力が足りない」という理由で納得出来る事が大きい。
ゲーム内での思考について
続いてゲームを行う最中の思考について論じていきたい。
フィジカルゲームでは頭脳ゲームに比べて圧倒的に偶然性が多い。選手の健康状態、フィールドの状況、天気の影響などのコンディションを始め、1対1の勝敗、ミスプレイ、ルーズボールの落ちどころなど、プレイ中も偶然の連続である。
ここから、勝率は存在してもゲームの勝敗は偶然の産物となる。このため、ゲーム内の心理は逆にフィジカルゲームが「諦め」が悪く、頭脳ゲームでは必然の要素が強いため「諦め」が良くなる。
また、強者が行う「まやかし」に対しての対応も真逆になりがちである。「まやかし」とは、ある狙いがあるように見せかけて踏み込みを躊躇わせるプレイである。
例えば自分より強い選手が、1対1の際にゆっくりドリブルで進行していた相手の選手が足の裏を使って3歩ほど後退したとしよう。この時この行為に全く意味が無かったとしても「誘き出されてる」というような感覚になる。しかし実際には、一瞬すぎてそんなことを考える暇も無くプレスをかける。
これは頭を使っていない訳では無いのだが、「考える」というより「反射」の連続で行動してしまうのである。
しかしながら自分より強い選手が、将棋で私の攻めの一手に対して攻め合いで返してきたらどうだろうか。この時、私の攻めの方が一手速かったとしても実際には受けに回ってしまう事が多い。
よって、フィジカルゲームでは「反射」が勝り、頭脳ゲームでは「思考」が勝るため、頭脳ゲームの方がフィジカルゲームよりも「まやかし」が通用しやすいのである。
人間性について
最後にやや視点を変えて、人間性の違いについて少し述べていきたい。
私はフィジカルゲームにはポジティブ思考の人間が、頭脳ゲームにはネガティブ思考の人間が多いと感じる。
才能の話に戻るが、人は才能があると分かれば特段嫌いで限りその才能を磨こうとする傾向が高いと考える。
例えば、体幹が優れているなら自分の体型に最も合うスポーツを、三半規管が優れていてスポーツに向かないなら音楽を、長期記憶が優れているならより難しい学校や資格に受かろうとする。
これは純粋に、そうする方が「楽」だからである。
そして、「勉強は頑張るもの、鬼ごっこは楽しいもの」と子供の頃に刷り込まれた場合、才能を見つけるとすれば、フィジカルゲーム>頭脳ゲームである。
フィジカルゲームで才能を見つけた者はそこに留まり、才能がなければ徐々に離れていく。そして次は頭脳ゲームの分野を開拓していく。このことから、フィジカルゲームよりも頭脳ゲームを行うプレイヤーの方が比較的挫折を味わっていると考える。すなわち、楽観的な人間性が少なくなると考える。
さいごに
この文章に具体的な落とし所は考えて居なかったが、タイトルの結論として、
頭脳ゲームでは「努力量」・「必然性」・「考慮時間」というところで、ロジックや現実を考える思考、フィジカルゲームでは「才能」・「偶然性」・「反射」というところで、直感的、可能性を考える思考が付きやすい
といった具合にしておきたい。
長文になってしまったが、私の思考について、ここまで読み進めていただけてとても嬉しく思う。
またね!!